先日、親戚の葬儀に行ってきました。
急な心筋梗塞だったようです。
親戚とはいえ、家族以外の他人の死というのは、私にとってはあまり実感がわかないものです。
そういうものなのでしょうか?
親戚の死に際していつも思うのは、
自分の親が、いつ死んでもおかしくない年に、既になっているんだな、ということです。
常に覚悟しておかねばならない、とその時は思います。
(本当は、自分だって、家族だって、いつ死んでもおかしくはありません。不慮の事故は起こりうる、
という点で。)
私が将棋の差し盛りだった10代の頃に読んだ本で、
故米長邦雄氏の「人間における勝負の研究」 という本があるんですが、
その中で米長先生が、
「40を過ぎた男にとって、親の死は悲しむほどの事ではない。」
というようなことを言ってました。
細かい事は忘れてしまいましたが、たぶん、自分が40も過ぎれば親もいい年なんだから
いつでも覚悟はしておくべき、ということだったのでしょうか。
そんな若い時に読んだそのフレーズをなんかずっと覚えていました。
「親孝行、したい時には親は無し」
という言葉もあります。
日頃は、適当に親と接していますが、
やはり、悔いが残らないように、常日頃、孝行を意識しながら、
親と接していきたいと思っています。
さて、最後に、
前述の米長先生は将棋の棋士でしたが、
米長先生のおもしろい語録を一つだけ紹介して終わります。
「兄は頭が悪いから東大へ行ったが、私は頭が良かったから将棋指しになった。」
確かに、東大へ入学するよりも、プロの棋士になる方が難関なのだろうと思います。
米長邦雄氏は私が密かに尊敬する人の一人です。
今日もブログを見ていただきありがとうございました!
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