2015年10月18日日曜日

親戚の死に思うこと

先日、親戚の葬儀に行ってきました。

急な心筋梗塞だったようです。

親戚とはいえ、家族以外の他人の死というのは、私にとってはあまり実感がわかないものです。

そういうものなのでしょうか?

親戚の死に際していつも思うのは、

自分の親が、いつ死んでもおかしくない年に、既になっているんだな、ということです。

常に覚悟しておかねばならない、とその時は思います。

(本当は、自分だって、家族だって、いつ死んでもおかしくはありません。不慮の事故は起こりうる、

 という点で。)

私が将棋の差し盛りだった10代の頃に読んだ本で、

故米長邦雄氏の「人間における勝負の研究」 という本があるんですが、

その中で米長先生が、

 「40を過ぎた男にとって、親の死は悲しむほどの事ではない。」

というようなことを言ってました。

細かい事は忘れてしまいましたが、たぶん、自分が40も過ぎれば親もいい年なんだから

いつでも覚悟はしておくべき、ということだったのでしょうか。

そんな若い時に読んだそのフレーズをなんかずっと覚えていました。

「親孝行、したい時には親は無し」

という言葉もあります。

日頃は、適当に親と接していますが、

やはり、悔いが残らないように、常日頃、孝行を意識しながら、

親と接していきたいと思っています。

さて、最後に、

前述の米長先生は将棋の棋士でしたが、

米長先生のおもしろい語録を一つだけ紹介して終わります。


「兄は頭が悪いから東大へ行ったが、私は頭が良かったから将棋指しになった。」


確かに、東大へ入学するよりも、プロの棋士になる方が難関なのだろうと思います。

米長邦雄氏は私が密かに尊敬する人の一人です。

今日もブログを見ていただきありがとうございました!




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